「家族海峡」
あらすじ
昭和20年3月。一晩で10万人以上の人々が焼け死んだ東京大空襲の直後、朝鮮の男と結婚し、愛だけを信じて海峡を渡った一人の日本人女性がいた。
5カ月後には嫁ぎ先の北端の地、羅津でソ連軍侵攻に遭遇、日本は敗戦する。夫の家族と共に必死の逃避行の末、38度線を越えてソウルにたどり着く。子どもも二人生まれ、安定したと思う間もなく北からの共産軍侵入。先の見えない朝鮮戦争。夫は韓国に残り、義妹たちと子どもだけを連れて、妻は日本に帰国する。家族と暮らすため後から来日した夫は、不法滞在が発覚し韓国に強制送還。義妹二人を含めた五人の子どもを育てながら貧乏に耐え、妻は日本でひたすら夫を待ち続けた。
月日は流れ、夫は事業に成功するが、想像さえもしなかった裏切り。世界にただ一人の男と愛し、尽くした報いが心を切り刻まれるような裏切りだった。妾がいたのだ。おまけに子どもまで……。離婚か渡韓か迷った末に意を決する。再びの韓国は、外は軍事独裁のピリピリした社会、内は女に狂った夫との修羅場。長い忍耐の日々。そして夫の会社の倒産、息子の拷問……、次々と襲い掛かる不幸。一体、心の休まる時はくるのだろうか?
これは戦争、貧困、国家により引き裂かれ、日韓のはざまで翻弄された一家族の真実の話だ。と同時に、敗戦後のソ連軍侵攻から朝鮮戦争まで、そして日韓国交正常化後のソウルの生活を日本人女性の目を通して記された貴重な歴史の証言でもある。
文字通り波乱万丈の過酷な運命に翻弄されながらも、彼女は家族を守るために最後まで行きぬいた。風に倒れそうになりながらも、また頭をもたげるコスモスのように、可憐で芯の強い生き方は、多くの読者に「家族」「幸福」「人生」の意味をもう一度考えさせるだろう。この本には、世界恐慌かと騒がれている不安な今を生きる人々に「これくらいは何でもない、家族が一緒にいるだけでも幸せよ。あなたも頑張って」という励ましのメッセージが込められている。
| 1945年10月25日38度線南下記念写真 林一星(夫)、利星(義弟)、原谷喜多子 五郎(義弟)、吉子(義妹)、正子(義妹) |
1949年8月漢江。橋は朝鮮戦争の初期に破壊 三郎(義弟)、喜多子、一星、恵子(長女) 英雄(長男)、吉子 |
目次
<家族海峡 目次>
はじめに
第1章 運命の人
1 出会い
2 結婚
3 朝鮮の地
4 大家族
5 満州旅行
6 妊娠と叔父の召集
第2章 日本の敗戦
7 ソ連侵攻
8 逃避行
9 夫の生い立ち
10 三十八度線
第3章 ソウルでの生活
11 未熟児
12 トラック売買詐欺事件
13 避難民の集団
14 密輸舟
15 つかの間の平安
16 利星の結婚
第4章 民族の悲劇
17 朝鮮戦争勃発
18 共産軍占領
19 ソウル脱出
20 帰国船
第5章 引き裂かれた夫婦
21 里帰り
22 東京へ
23 送還
24 母子家庭
25 入国管理局
26 親友
第6章 家族の絆
27 再会
28 反抗期
29 台風
30 父の死
31 若い芽
第7章 軍事政権下
32 夫の裏切
33 国交正常化
34 花の家
35 妓生(キーセン)観光
36 女の涙
37 大統領の娘
38 破産
39 拷問
40 巣立ち
エピローグ
あとがき
著者
発行 2008年 6月 5日
著者 原谷喜多子・林恵子
連絡先 林恵子(牛尾恵子)
原谷喜多子(はらたにきたこ)
1920年、和歌山県生まれ。1938年調布高等女学校卒業。1939年東京女子専門学校家庭科卒業。1945年林一星と結婚。1男2女をもうける。羅津で敗戦を、ソウルで朝鮮戦争を体験する。1951年日本に帰国。1965年に再び渡韓。現在は趣味の絵画を楽しみながら日本で暮らしている。
林 恵子(りん けいこ:本名 牛尾恵子)
1949年、ソウル生まれ。2歳の時来日し、1965年に韓国に渡る。セント・ソフイア西江大学韓国語韓国文学科卒業(学士課程修了)。卒業後、再び日本に戻り、東京デザイナー学院卒業。現在、外務省始め政府関係機関の韓国語通訳として、政官学界の要人、文化人、青少年交流事業などに従事する。その一方で韓国民画の制作、展示などを通じて韓国文化を幅広く紹介している。
1977年に建築設計士の牛尾秀明と結婚。2男をもうける。
著書に『日常会話韓国語』『トラベル韓国語会話』『韓日ミニ辞典』(ダイソー出版社)など

原谷喜多子の仏画の前で










