家族海峡-7

「家族海峡」

第二章 ”日本の敗戦”

七 ソ連侵攻
羅津には八月一日に独りで戻ったが、三日には夫も帰宅した。
「こんなに早く帰ってくるなら、一緒に戻れば良かったじゃないの」
「うん、ちょっと用事が早く終わったから……」と夫の返事は今一つ煮え切らない。
山西の叔父と夫は、元山で知り合ったらしい。叔父の方が四歳年上だが、二人とも多少山っ気があり、社交的なところが似ている。夫の親友の金徳熙さんもそこに住んでいたので、三人で酒を飲んだりして意気投合した。そんな関係で叔父が私に「朝鮮人には珍しいいい男だ」と紹介したのだ。
ところが、夫はその晩から私を問い詰めて寝かせなかった。
「結婚前に叔父と何があったのか、正直に言ってみろ」
あろうことか私と叔父との関係を疑い始めたのだ。
「何を馬鹿な。叔父さんなのに、そんな淫らなことする筈がないでしょう。第一、私は男の人と付き合った事もないのよ。そんなことをしたのなら、嫁にはきません」
声を大にして否定しても、嫉妬に囚われた夫は疑いを止めようとはしない。
四日の夜もそうやって一晩中責め立てる。心身共にまいってしまい、死にたくなる位だ。実際何かあったのなら白状もしようが、私にはやましいことは微塵も無い。昼間は他の家族たちには気づかれぬようにしながら、反目し合う日が続いた。

八月八日、そんな状態に我慢できなくなった私は彼に申し出た。
「そんなに信じられないなら、雄基の病院に行って検査を受けましょう」
「よし、そうしよう」と彼も同意し、ともかく寝床に入った。
しかし、その夜、そんな痴話喧嘩など吹っ飛んでしまう緊急事態が発生した。真夜中も随分過ぎた時間だったろうか。爆撃機の音がして、警報が空に鳴り響いた。
「空襲よ! 皆、逃げなくちゃ!」
東京で空爆を経験している私は一番先に飛び起きた。
「吉子ちゃん、正子ちゃん。ほらみんな起きて!」
眠り込んでいる皆を叩き起こし、大声で指図した。
「あなた、カーテンしめて。利星さんは電気に黒い布を被せるのよ」
家族は空襲など初めての経験なので、男たちもおろおろするばかりだ。裸で眠っていた幼い正子、吉子に服を着せ、とりあえず半地下の物置に隠れさせた。バリバリとすごい音がして、港の方がやられているようだった。
「アメリカ軍の空爆だ。遂にここまで攻めてきたのだ」
表通りへ出てみた。遠くで燃える真っ赤な炎がガラス戸に反射する中を、人々は右往左往していた。しばらく様子を見ていたが、飛行機は市内までは飛んで来そうもなかった。私たちはそのまま部屋に戻って寝た。
九日の朝になった。また攻めて来たら大変なので、荷物を少しまとめて、とりあえず逃げる準備をした。吉子と正子は、山の方にある三星の知人宅に逃避させた。利星は青年団員として消防署の運転手をしていたので、非常時には駆けつけることになっていて、夫と共に市内へ行ってしまった。三星と五郎は何をしているのか、姿を現さない。
私はといえば、近所に親しい人もおらず、日頃外出もあまりしていないため、地理も不案内だ。これからどうしていいのか方針も立てられず不安が募るばかりだった。
夕方になると夫だけ戻ってきた。羅津は夏でも涼しいので蚊帳はいらない。九日の夜はだだっ広い家の中に夫婦だけとなり、自分達の部屋で寝ていた。
夜中に突然、利星がやって来た。
「こんな時に家の中で寝ているなんて、暢気だな」と私達を外へ連れ出した。
取引のある殖産銀行の防空壕が空いているとかで、何とかそこへ入れてもらった。狭い中にゴザが敷いてあり、真っ暗な中で身を寄せ合って休んだ。
後で利星が銀行の人から聞き込んできた話には、皆で悔しい思いをした。
「私達が寝ていたすぐ横に、銀行の現金袋があったんだって。手を伸ばしていたら、六十万円も入ったリュックを見つけられたのに。本当に残念なことをした」
金と縁の無い者には想像もつかない大金だった。

港では食糧輸送のために積み上げられていた大豆の山がたくさん燃え、船舶が何隻も撃沈されたらしい。私達はずっとアメリカによる空爆のせいだとばかり思っていたが、実はソ連による攻撃であった。日本が負けることが確実になった時点の八月八日夜半に、突然、日本に宣戦を通告したのだ。ソ連の和平仲介を望んでいた日本の期待を、完全に裏切ったわけである。後の資料により、九日、十日の二日間で十二隻の日本の船が沈没したと知った。
正確なニュースを知る方法もなかった私達は、そんな国家間の動きなど全く分からず、先の展望など持てるはずも無い。人々は南へ、北へ、ある者は徒歩で、ある者は荷車で、それぞれできる限りの荷物を持って逃げ出し始めた。
「どうしよう、一体どこへ逃げればいいの?」と独りきりの私は不安でいても立ってもいられなかった。
夕方近く、利星と夫は消防車を運転して帰ってきた。
「とりあえず、皆が逃げる山のふもとの方へ荷物を運びこもう」
崖の下を掘った八畳くらいの広さの、壕(ごう)みたいな所へ避難した。そこへ正子、吉子、五郎もやって来た。
「中が暗くて土がヌルヌルして、気持ち悪かったの。今でもなぜかああいう感触が生理的に駄目なのよ」と最近になって吉子が言う。子ども心にも非常事態の緊迫感があったのだろう。
ところが、一家の中心となる夫と利星は、そのまま消防車で出かける準備をしている。近所の福正屋の夫婦を初めとする、日本人の家族十五、六人を送るというのだ。
「南へ連れて行く。すぐ帰るから心配するな」と言い残し、夜道を出発した。
最初は大勢いた壕の中の人達は、時間が経つにつれ目に見えて少なくなっていく。三星の姿がしばらく見えないと思ったら、またどこからともなく現れた。
「兄さんたちを頼りにしていたら死んでしまうから、これ以上待っていられない。日本の師団がある会寧の方に行く」
返事をする間も与えず、私達を置いて自転車に乗ったまま闇の中に姿を消した。中国人が三角の赤い旗をかざして声高に喋りながら、集団で時々通る。共産軍の民兵たちだ。
怖い。体がガタガタ震える。三人の子どもと私、無力な者だけが残った。
「音を出しちゃ駄目よ」隅のほうで身を寄せ合った。避難する時に家から持ち出した荷物の中には、床の間に飾ってあった日本刀もある。
「こんな物をこの人たちに見つけられたら、どんな目に合うだろうか」
西も東も分からない私……。幼い義弟妹たちも不安であったろう。木々の間から港の方が明るく見えるが、ここは真っ暗だ。暗闇の中でひたすら待った。夜中の二時を過ぎても二人は帰って来ない。
「途中で何かが起きたのではないだろうか。もしや事故でも……」
悪い方ばかりに想像がいく。いい事はちっとも思いつかない。人もほとんど居なくなり、不安で胸が張り裂けそうだった。三時も過ぎた。恐ろしい静寂だ。
「夫が戻ってこなかったら、この子達を連れて私はどうしたらいいの?」
責任感、苛立ち、恐れ、情けなさで頭が狂いそうだった。その時、かすかな車の音が聞こえた。だんだん近づいて来る。やっと二人が汗みどろの顔で戻ってきた。
「あなた! 帰って来てくれたのね!」
嬉しくて、嬉しくて、思わず涙が出た。
連れて行った日本人達は「清津まで送ってくれ」と言ったのだが、彼は私がどうしているか気が気で無かったのだと言う。口では断りきれないので、途中でわざと脇道に突っ込んだ。
「故障で動けなくなったから、これ以上は行かれません」
その人たちを車から降ろして歩いてもらい、しばらくして皆からそっと離れた。
「君が心配で一心に戻ってきたんだよ」と私を抱きしめた。
「もう人々が大分いなくなっている。我々も逃げなくては」
さすがに避難するのに消防車では目立ちすぎる。夫は「他の車を探してくる」と、夜明けの光が射し始めた頃、町の方へ向かった。それから数時間後、夫達が一旦戻ってきた。
「町中を探し回ったが、残されている車に満足なものは無かった。タイヤが一つ、二つ無かったり、故障で動かなかったりだ。これらを集めて修理して動くようにするには、大分時間がかかりそうだ」
おにぎりを食べてから、また二人で出て行った。一日かけて直したらしく、夕方二トントラックで戻ってきた。大きな機械を三台ぐらい積んだままだった。旋盤機だったが、重すぎて人力では降ろせなかったのか、売ろうとしたのかいまだによく分からない。とにかく、やっと私たち家族も避難の道に出発することになった。機械の間に割り込むようにして乗り込んだ。
薄暗くなり始めた町には人影は殆ど見られず、犬や鶏、時には逃げ出した豚などが歩いているだけの、無人の町となっていた。港はまだ大豆の山がくすぶり、黒い煙が上がっている。夕闇がだんだん深くなってくる。沖の方からは艦隊が、陸地に向けて発砲する、すさまじい音が時々聞こえてくる。ドカーン、ドカーンと撃つと、赤い閃光が見える。自分たちが狙われているのではないかと、ヒヤヒヤしながら車を走らせた。途中で逃げ遅れた軍人がトラックの前に立ちふさがった。
「我々を乗せてくれ」
「いいですよ、早く乗りなさい」 軍人は四人だったが、一人は重症で担架に乗せられていた。怪我をしている。敗走する時は弱った仲間など見捨てていくのだろうか。
月もない暗闇を無灯のまま進んだ。ライトをつけると狙われる可能性があるからだ。夫が運転すると、スピードを出し過ぎてよけい不安になるので、利星が運転してくれた。利星は安全運転だったが、車の揺れがつわりを呼び戻し、私はムカムカしてもどし始めてしまった。清津まで道はまだ遠い。少し落ち着くまで待とうという事になり、細い山道に入って、休めそうな所を探す事にした。軍人達は「清津まで乗せて行け」と命令口調で言ったが、「車が故障した」とか何とか言い訳をしてそこで別れた。彼らも必死であったろう。まだ若い青年達だったが、無事日本に帰れただろうか。軍人であっても戦争の犠牲者に変わりはない。
ほどなく比較的大きな田舎家が見つかった。幸い泊まる許可をくれたので、胸をなでおろした。軽い食事もこしらえてくれ、やっと皆も少し落ち着いた。
養蜂をしている家だった。親切な家族で私が妊娠しているのを知り、力を付けようとわざわざ蜂蜜を持ってきてくれた。丼の中に蜂が何匹も入っている原液で、臭いも強く私は一口も飲めなかった。それを見て夫は、「それでは、私が」と言って、独りでみな飲んでしまった。
その晩はそこで過ごし、次の朝は山道をもっと奥まで入り込んで行った。道から少し外れた所に、小さい家を見つけた。早速交渉したところ、一部屋空いているというので、しばらく借りることにした。

そこは豆満江流域の木材搬出基地である、茂山というところだった。満州国境は目と鼻の先で、朝鮮人が延辺へ渡る道筋でもある。近くには朝鮮第一の埋蔵量を誇る大きな鉄鉱山があり、製鉄所のある清津と鉄道で結び、北の重工業の要をなしていた。
羅津を出発する時夫たちは、徳田という金持ちの家に立ち寄り、誰もいなくなったその家から米、醤油、砂糖、油など、当時得がたかった食料を箱一杯持ち出した。七輪も持参していたので、畑から取って来たジャガイモや大根で天ぷらを作った。
「こりゃ、羅津にいた時よりごちそうだね」
皆で豊かな食事を頂いて夜になった。
夜中、蚊と蚤の猛攻撃に襲われた。体のあちこちが痒くて眠るどころではない。一晩中、苦しめられた。朝、明るくなって部屋に敷かれた花ござを持ち上げて、たまげた。何百ではなく何千、何万と思えるような蚤が飛び出してきたのだ。慌ててふたをし、皆ため息をついた。後にも先にもあんなに大量の蚤の軍団を目にしたことはない。その夜は外縁のところで寝たが、蚤たちは執拗に追って来て、またもや眠れない。皮膚の弱い私は咬まれると腫れ上がり、堪えがたい痒さだった。

人伝に敗戦の情報が伝わって来た。
「日本が負けたらしい、朝鮮は独立するのだ!」
「マンセ、マンセ! トンニプ マンセ!(万歳、万歳! 独立万歳)」
朝鮮の人たちは大騒ぎして喜んでいる。抱き合い、踊りだす者も大勢いる。
「私の国は負けたのだ。夫だって心の底まではわからない。日本人の私は棄てられるかも知れない」と、涙がボロボロ出てきて止まらない。確かめようにもラジオも無い。噂は本当だろうか。池に投げた石の波紋が大きくなるように、不安が限りなく広がっていく。
山へ続く一本道をまた三十分ほど上がった所に草葺の家が何棟も並んでいた。村長の家だった。なんと羅津市内に住んでいた朝鮮の人達が三、四十人ほど集まっているではないか。顔見知りばかりだ。
「金君じゃないか。こんな所で会えるとは。よかった、本当によかった」
自転車屋を任せていた若い金さん夫婦も赤ちゃんも一緒で、会寧のほうから皆で歩いて来たという。
「軍隊の駐屯地があるので安全かと思って、会寧に逃げたのですけれど、一個師団ごと捕虜になってしまったらしいんです。中には逃げた兵隊達もいるから、かえって危ないと、また南下して来ました」
「ともかく皆無事で何よりだ」
私たちは再会を喜び合い、一緒にその大きな家で暮らすこととなった。急に大所帯となったが、私が妊娠中なのは皆が知っている。
「奥さんは休んでていいよ。私たちがやるから」
結婚して初めて一日中、何もしないで夫と過ごせる日々となった。
その家も高い所に位置していたが、利星と三人でもっと山の方へと登ってみた。村人の話では、上には日本海軍の観測所があるという。やっとたどり着くと、五人の兵隊がまだ何も知らずに勤務していた。全員が二十二、三歳位でまだ若い。羅津でもそうだったが、上部の偉い人は最新ニュースを入手し、下の者を見捨てて真っ先に逃げて行ってしまう。
「今にソ連兵が間違いなくあなた方を捕らえに来るから、早く逃げなさい」
「任務だからここを守らなくては」
私たちの言葉に半信半疑で、熱心な説得にも耳を貸さない。諦めて下山した。
そこは真夏でも、夜は薄い布団が無くては寒いくらいだ。寒がりで暑がりの私には、涼しくて過ごしやすかった。
「たまには栄養補給をしよう」
みんなでお金を集めて村の牛を買った。牛が身動きが取れないように狭い柵を作り、そこに追い込もうとすると、動物でも殺されるのが判るのだろう、足を踏ん張って悲しげな声で泣く。無理やり押し込んで、反対側から額に一撃を食らわした。
「うわあ、可哀相」と正子が顔を背けた。
朝鮮では昔から牛肉は大変なご馳走であり、処理も慣れている。皮を剥ぎ、肉を切り分け、庭で火をおこした。大きなお鍋でグツグツ煮こんでコムタン汁の出来上がりだ。しっかり味の出たコムタンにキムチを入れて食べる。空気の澄んだ所で頂くのだから、なお一層美味しい。つわりも少し治まり、食欲の出てきた私には生涯忘れられない味だった。
 皆、同じ町の住人だったので、下の弟妹にとっても同じくらいの子どもたちが多くて楽しい毎日だった。夫と私は二人だけで、その家の前を流れる小川に入った。川岸には草や雑木が生い茂っている。上流へ十分くらいさかのぼると、三つの流れが一つに集まっている淀みに出た。人の背丈より高い木々に囲まれて外部から遮断されている。羽衣伝説の天女でも下りてきそうな、素敵な場所を発見したのだ。

川の真ん中には大小の岩が横たわっており、水も深くなっている。水浴びをしたり、体を干したりするにはもってこいの場所だ。夫は大喜びで、裸になって泳ぎ始めた。冷えると岩に寝そべって太陽で体を温めた。夫は私の服を無理に脱がせて、恥かしがらせた。誰にも邪魔されない、二人だけの別天地だった。垣根のように人目を遮る草むらの向こうから、時折、子どもらの歓声が聞こえてくる。戦争など何処か遠くの出来事のような平和な時が流れた。 彼はこの場所を好み、毎日出かけた。
「二人だけで、一体どこに行くの」と独り者の利星が不審がった。
食事の支度もせず、皆の行為に甘えて楽しく過ごしていたが、ソ連兵が近づいているという噂が流れてきた。ある日、もう四キロ近くまで接近したというので、皆が怖がり出した。その原因は私だった。
「日本人を匿っていると分かったら、皆連れて行かれ責められるぞ」
日本語でこそっと言うのだが、何となく耳に入ってくる。だんだん、追い込まれた気持ちになり、いたたまれなくなっていく。
「私さえいなければ……」
皆から見えない家の裏に隠れて、髪の毛と爪を切った。紙を見つけて父と母あてに「先に行く罪」を詫びる手紙を書いた。夫にも「皆に迷惑がかかる事を恐れて、申し訳ないがお腹の子と先に行きます。許してください」と遺書を残した。それらをそっと包んでいた時、姿が見えないのを不審に思った夫が私を探し出した。尋常でない私の様子に夫が声を荒げた。
「何やってるんだ! 隠した物を出せ」
手に持っていたものを無理やり取り上げた。
「私とお前は百年偕老の契りを結んだ夫婦ではないか。国がどうなったといっても夫婦に変わりない。お前が死ぬときは自分も死ぬ。まして、私達の初めての子も生まれて来ようとしているのに絶対早まったことをしては駄目だ」
夫の必死の形相に、憑き物が落ちたように現世に引き戻された。
「そうだ、私の赤ちゃん。この子を殺してはいけない」
夫の私を思う心と、生まれ来る子どもへの愛が、私を思い留まらせた。

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<家族海峡 目次>
はじめに

第1章 運命の人
1 出会い
2 結婚
3 朝鮮の地
4 大家族
5 満州旅行
6 妊娠と叔父の召集

第2章 日本の敗戦
7 ソ連侵攻
8 逃避行
9 夫の生い立ち
10 38度線
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